夢・感動・泉陽!トップ


夢・感動・泉陽!他校編

      
リスト リンク1 リンク2 番外編 テレビドラマ相関図 書籍検索
 








川淵三郎(かわぶち さぶろう)/堺市・三国丘高校(S30年卒)/日本サッカー協会会長/
(02.9.8記)

Jリーグチェアマンとして、Jリーグの立ち上げから、今年の日韓共催ワールドカップまでの
10年以上にわたり、強力なリーダーシップと、揺るぎない信念で、
日本サッカー界を引っ張ってきた川淵三郎氏。

今夏には、Jリーグチェアマンから、日本サッカー協会会長に就任。
そして、地域に根ざした総合スポーツクラブの醸成や校庭の芝生化など、
「百年構想」という壮大なスローガンを掲げ、邁進されています。


その出身高校である三国丘高校と、泉陽高校サッカー部の間では、その名を冠した
「川淵杯争奪」定期戦というのが、毎年、現役及びOB間で行われています。


2002年5月に、日経新聞夕刊「人間発見」に川淵氏の事が連載されました。
それによると、サッカーを続けたのは、まさに偶然の連続だったと。


大阪府高石市に生まれ育った川淵氏が、サッカーに出会ったのは、
なんとも遅く、高校一年生の時。
四国での西日本大会出場が決まっており、部員不足のため勧誘されたが、
四国旅行が出来るという誘惑に負けて入部した。

続ける気はなかったが、先輩が「やめんといてくれ」というので、そのまま続けた。
もし、「四国だけ行って、やめるのは許さん」と先輩づらでもされていたら、
けんかしてやめていただろうと。

しかし、その翌年には、先輩達の熱心な指導もあり、
「超高校級」といわれるようになり、小躍りした。
しかし、大学で続けるつもりは、なかった。

その後、浪人時代に都市対抗大会に高校OBチームとして出場し、
大阪の決勝戦で、日本代表が何人かいるチームと戦い、惜敗。
そのことにより自信をつけ、自分も日本代表になれるかも・・と、
ようやく、サッカーを続ける決心を固めたという。

その通り、早稲田大学二年の時に日本代表に選ばれ、
その後、古河電工に入社した。


そして、なんと言っても、現役時代のハイライトと言えば、
やはり、1964年の東京オリンピック!


優勝候補のアルゼンチン戦で、残り10分、
ヘディングシュートを叩き込み、同点!
そのあと、逆転ゴールを呼び込むアシストをし、
3-2で逆転勝ち、ベスト8進出を達成!!




しかし、こんな川淵会長も、こと女性に関しては、
三国丘高校時代には、「女性と、ものをしゃべった覚えがない」(苦笑)

堺の繁華街・堺東の映画館に入った時、
憧れの同級の女生徒の姿を見つけ、
「二人で映画を見ている気分に勝手に浸ってね」


なんとも純情、純粋・・、青春の1ページ・・・。

川淵会長、恐らく、足は、はやいが、
手は、全く、はやくなかった・・・。




追記

9/12に川淵会長の「会長」という名の愛称が「キャプテン」に決定したそうです。

「キャプテン翼」ではなく、「キャプテン三郎」らしい・・。









MIDI作成講座 Basic



上へ戻る

     
参照:日経新聞・読売新聞
 
CopyRight (C) yumekandou.com. All Rights Reseved.